月別アーカイブ: 2014年4月

経営者や管理職が上手なリーダー育成の為に知っておきたいこと

経営者や管理職の方から、「現場を任せるリーダーが育ってくれません、どうしたらいいでしょうか。」といった質問をよく受けます。

そのような質問を受けた企業の現場を観察してると、現場リーダーが育たないのではなく、管理職や経営者に問題があるために、リーダーが育つことができない場合が多いので、そのことを今日は書いてみたいと思います。

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「口を出したくなる気持ちを、グッと抑える」

まずは原則として、
「管理職や経営者は現場リーダーを飛び越えて、実際の現場に口出ししてはいけません。」
これは絶対に守らねばならないことです。

では、なぜ管理職や経営者は直接現場に指示を出してはならないのでしょうか。 答えは単純で、その現場に口を出す行為そのものが、リーダー育成を阻害している大きな原因だからです。

飲食店での一コマを例に挙げて説明してみます。

オーナーが店舗に顔を出すと、ホールでの接客の様子や厨房の不手際が目につきました。
オーナーは、この絶好の機会を活かそうとばかりに、直接現場の社員に接客のイロハや厨房内のオペレーションを指導をします。
そして返す刀で店長自身の至らなさを叱責し、店長たるものどうあるべきか訓示を垂れ、これで店舗はよくなり、店長も育つであろうという浅はかな考えとともにご満悦で店舗を後にする。というものです。

このような事例は飲食店のみならず、製造業やサービス業…さまざまな業界で目にすることができます。「こんな事例、当社ではあり得ない。」と断言できる管理職や経営者の方は、リーダー育成に問題ないので、先を読み進める必要はありません。 しかし、身に覚えがあれば、なぜこのような行為がリーダー育成を妨げるのかについて、説明しますので覚えておいてほしいと思います。

 

「リーダーが自ら育つことができる環境を与える」

まずリーダーが本当に育つためには、リーダー自身に成長しようとする欲求を持ってもらう必要があります。
その欲求をリーダー自らに持たせるため、ハーズバーグの「動機づけ・衛生理論」を基に考えると、仕事における満足を高める為に必要な「承認」「責任」を管理職や経営者は適切に与えて、リーダーの仕事に対するモチベーションを引き出してやる必要があります。

クリントン政権下でアル・ゴア副大統領の主席スピーチライターを務めた、ダニエル・ピンクも、TEDの「やる気に関する驚きの科学」というプレゼンにおいて、内的な動機づけとして「自主性」が発揮できる環境を与えることの重要性について説いています。

では、なぜ上司がリーダーを飛び越えて現場を指導してはいけないのか、それはリーダーを飛び越えて指導してしまうと、現場の社員はどうしてもリーダーの指示や指導ではなく、管理職や経営者の指導に従わなければなりません。 そこでは現場リーダーの考えが無視され、リーダーとして育つために必要であった、承認や責任という動機づけを放棄する結果になります。

先ほどの飲食店を例にするならば、店長として店舗の運営を任せたのであれば、現場の指導は店長が行うべき率先行動であり、管理職や経営者はその「承認」を取り消すような行為をしてはならず、また店長が持つべき、現場に対する「責任」を勝手に取り消すべきではないということです。

では、例の飲食店のオーナーはどのようにすればよかったのでしょうか。

オーナーが店舗に顔を出すと、ホールでの接客や厨房の不手際が目につきました。
オーナーは、この絶好の機会を活かそうと考え、現場の社員に判らないように店長を呼び、気づいた点を指摘しました。その上で店長に改善を指示し、店長として、どのように改善をするか考えを聞いたうえで対応を任せました。そして後日、改善の進捗を報告させ対応が完了していたのでオーナーは満足感を得ました。というものです。

ここでは、オーナーは自身の考えについて直接現場を指導せずに、店長に任せることで「責任」を与え、対応が完了したことで「承認」をしました。

また、直接に現場社員の前で叱責しないことで、店長としてのプライドも守りました。わざわざ、部下の前で叱責することでリーダーのやる気を削ぐ必要はありません。 会社の目的は永続的に会社が継続することで、そのために利益を生み出すことなのです。 管理職や経営者が部下を怒鳴りつけて、いい気持ちになることではありません。 管理職や経営者にとって大切なことは、マネジメントであり組織をつくり上げることであり、自らが社内の主役として派手な立ち回りをすることではありません。

店長サイドから考えてみると、店舗のリーダーである店長としての「責任」が与えられ、会社内での「承認」を適宜得ることで、内的な動機づけを自ら強めていくことができます。 この繰り返しがリーダーとして成長することにおいて重要な要因になるのです。 そのための環境をどのように作ってあげるか、経営者や管理職は、そこに知恵を絞って欲しいものです。

組織を強くするために、今以上にリーダー育成が不可欠であると考えるならば、いま現在のやり方が本当に適切であるか一度考え直してみるとよいでしょう。

就職活動でバランスよく企業選定をする方法

就職活動中の学生から「大手企業を中心に受けたのですが、選考を通過できずに苦労しており、どうしたらいいでしょうか。」といった質問が、この時期から徐々に増えてきます。

以前の「大企業の社員は本当に安泰なのか?」でも書いたのですが、大企業を中心に受けることが悪いという訳ではありません。 自分自身の学歴や能力に充分な自信を持っているのであれば、そういった選択肢もありでしょう。
しかし、一般的な学生が同じように行動をしてしまうと、リスク管理という観点からすれば、あまりにもリスクが高い割にリターンが見込めないということです。

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「未来の予測は難しいからこそ、リスクを分散させる」

「卵をひとつのかごに盛るな」(Don’t put all your eggs in one basket.)
イギリスの「卵をひとつのカゴに入れて運ぶと、落としたら全部が割れて台無しになる。」という意味の有名な諺です。 株式投資の世界でも、特定の商品に集中して投資するのではなく、複数の商品に投資をして、リスクを分散させた方がよい。という分散投資をすすめる意味で使われています。

諺で言われる卵であれば、万が一落として割ったとしても、家族から叱られたりご飯を食べ損ねるくらいの失敗で済むでしょうが、就職活動の失敗については、自分の人生を左右するきっかけになるかもしれません。

 

「2:6:2の割合を基本にする」

では、どうすればよいのか。
大企業を中心に行っている就職活動を分散投資のように、さまざまな企業へ分散させることです。

基本は「大企業2割:中小企業6割:ベンチャー2割(2:6:2)」を念頭においてエントリーする先を選定した方がよいでしょう。 100社エントリーするのであれば、大企業20社、中小企業60社、ベンチャー20社になります。

これは、あくまでも目安ですので、自分自身のキャリアに対する考えによって、大企業3割、中小企業5割、ベンチャー2割などに変更しても構いませんが、あまり大きく変更してしまうと本来の意味を失ってしまいますので、1割程度の増減にしておいた方がよいでしょう。

なぜ、この割合を薦めているのかというと、大手企業の採用は出身大学のランクや学部、その他さまざまな社外に情報が出ない要因が影響しています、大企業は巨大だからこそ膨大な数の利害関係者が存在しており、そのためにどうしても狭き門なるのです。
平均的な倍率が数百倍になる大企業というカゴに、自分が持つ全ての卵を盛るのは、あまりにもリスクが高すぎます。そういった意味でも2割程度に抑えておく方がよいでしょう。

またベンチャー企業を2割程度、受けておいたほうがよいというのは、社会の時流に乗ることができれば、ベンチャーは大きく飛躍する可能性を秘めています。
誰もが知っているgoogleの社歴はまだ20年になりません。韓国のMHNが運営を始めたLINEは3年で、現在の規模まで成長しました。そのような急速な飛躍をする経験できるチャンスは、大企業ではほぼありません。しかし、ベンチャーの大部分は失敗する可能性が高いことも理解しておいて下さい。

そして中小企業を6割としましたが、日本の企業数の99.7%は中小企業です。大手では損益的に手が出せないニッチな事業など、独自の魅力を持った企業や、ベンチャーと同じくこれから成長が期待できるが、まだまだ世間には知られていない、そんな中小企業も数多く存在しています。大企業にはない魅力に溢れているのも中小企業の特徴です。

 

「幅広く就活をすることの意味」

そして、大企業からベンチャーまで受けることには、いくつかのメリットがあります。
まずは、大企業よりも採用倍率が低いために、エントリーから面接に進みやすいという点です。エントリーするだけでは企業とのやり取りに人的な要素は殆ど入ってきません。面接のコツはあらためて書く予定ですが、場数を踏むことで慣れていくものでもあります。
1社しか面接に進んだ企業がない就活生と、10社面接に進んだ企業がある就活生では、面接に対するプレッシャーひとつをとっても大きな違いがあります。

また大きな意味として、世の中に対する視野を広く持つ一つのきっかけになると考えます。

現代の就職活動は、どうしても画一的なマニュアルや指導によって、このようにしなければならない、と無意識のうちに方向づけられている学生がほとんどです。しかし世の中はマニュアル通りに動いている訳ではありません。
実際に大企業からベンチャーまで就活する経験からネットの情報だけでは判らない、さまざまな見聞をし、自分の肌で実際に感じてみる機会を作ることが出来るのも就職活動のメリットなのです。

その上で、やはり大企業を目指しそこで働くこともよいのでしょう、逆にベンチャーに魅力を感じ、そこに飛び込む結果になるかもしれません。それは本人が悔いなき選択ができれば、それでいいと僕は個人的には思います。
ただ、あえて大企業のみを受けるという、選択する機会を自ら捨てる行為とリスクを負うことは、悔いを残すことにもなりますので、気をつけた方がよいということを就職活動をしている学生の方達には知っておいてほしいのです。

仕事や就活中に隣の芝生が青く見えるのは本当なのか?

転職希望者や、新卒就活生の悩みを聴いたり、行動する姿を見ていると、多くの人が「隣の芝生が青い」と感じて、自分の置かれている就業環境を嘆いたり、自分の就活活動はダメなんだと、自信を失って苦悩してるように感じます。

 

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「まわりの皆が、自分よりもよく見える……」

転職希望者であれば、いちど転職に意識が向いてしまうと、同業他社や他の業界が、賃金や福利厚生もよく、そこで働く人の姿もイキイキしているように思え、自分の仕事が物凄く苦痛に感じてしまい、転職への決意を高めていく、そんな傾向にあるようです。

そして就活生は、周りの友人たちは、エントリーシートの結果もよく、採用面接の予定も入り、内定が出始めると、皆がどんどんと先に進んでいく姿を目にすることで、うらやましい気持ちと同時に、焦りやプレッシャーも強く感じて、気持ちが沈み込んでしまうようです。

確かに、周りを見渡してみると、なんとなく皆が自分よりも幸せそうで、毎日が充実しているように思えて、いわゆる「隣の芝生が青く」見えて仕方がない、そんな気持ちになって叫びだしたくなることがあります。

 

「隣の芝生が青く見えるのは、当たり前のこと」

これは結論からいうと、人間心理が持つ「社会的比較のなかの上方比較」という本能ですので、ある意味では、人が社会生活を送るうえで仕方がないことなのです。

「社会的比較」とは、人が他者と自分を比較することで、自分の事を評価したい心理的欲求のことです。
社会生活に適応して生活していくために、自分の持つ能力や置かれている立場の妥当性や正当性を、どうしても評価したくなるのです。

そして、「上方比較」とは、自分自身よりも望ましい環境にいる人と、自分を比較する心理です。
上方比較には、ポジティブな面とネガティブな面があります。ポジティブな面が前に出ると、望ましい環境にいる人のことを成功モデルとして意識することで、自分自身を向上させるエネルギーや動機に繋がります。
しかし、ネガティブな面が前に出ると、自分自身の不完全さを認識させられて意気消沈したり、焦りやプレッシャーを感じてることで、心の中はマイナスの感情に支配されていきます。

転職希望者が「隣の芝生が青い」と感じ転職活動を行う背景には、この上方比較のポジティブな心理に突き動かされ、転職することで自分自身の置かれている立場や環境を向上させたいという、無意識の心理が働いています。

逆に、就活生が周りをみて焦ったり、プレッシャーを感じて意気消沈してしまうのは上方比較のネガティブな面に支配され、自分自身の不完全さに対して意識が向いてしまう為に、自然とマイナスの感情に支配されてしまうからです。

ここで伝えたいことは、人間が「隣の芝生を青く感じる」のは当たり前のことなのです。

 

「当たり前を理解できると、心に余裕が生まれる」

当たり前のことについて、自分が反応してポジティブに思えればよいのですが、ネガティブな意識に支配され周りと自分を比較してダメな人間だと思ったり、気持ちを乱して就活に影響が出たりすることは、もったいないと思います。

「隣の芝生が青い」と感じ、自分の気持ちがマイナスな感情に絡めとられそうになった時、これは人間だから当たり前で仕方ないんだな。と少しでも思えることができれば、そこから心に余裕が生まれて気持ちを切り替えることができるはずです。原因と仕組みを知っておくのと、知らないのでは大きな違いが生まれます。

特に就職活動に苦戦して、心に余裕がなくなってきたなと感じる就活生の皆さんには、覚えておいてほしい知識です。 心に余裕がないと上手くいくものも、なぜかダメになってしまうものだからです。